■雑記[中古品フェア]:常識シリーズA


2003/01/02

◎正義:正しい筋道。人がふみ行うべき筋道。(得意の広辞苑抜粋)

 

おぅおぅおぅ!!『べき』やとぉ?

 

そんなもん誰が決めたんじゃい!!

また、多数決かい!!

 

『正義』。う〜ん、その響きだけ聞くと

確かに、ものすごく正しいことのような気がする。

 

でもね、それも、ある立場から見た一方的な価値観でしかないんですよね。

 

例えば、戦争。

「正義のために闘う!!」と言いますが、それもある国にとっての正義であって

侵略される側の国にはなんの正義でもない。

 

10年位前に湾岸戦争がありましたよね。

アメリカは『正義』の名の元に、イラクを攻撃しましたが

イラク国民にとっては正義でもなんでもありゃしません。

 

そらぁ、フセインはクウェートを侵略したかもしれません。

だからといって、正義のためにイラク国民の生活を脅かしてもいいんでしょうか?

これって、正しい筋道なんか?

人がふみ行うべきことなんかぁ?

 

別の例。

かつて日本に原爆が落ちた時。

アメリカは正義の鉄槌といったそうな。

戦争を早く終結させるための原爆。

これ以上、犠牲者を出さないための原爆。

 

そらぁ一理あるかも知れんけど、これってみんなが納得できる事じゃないでしょ?

B29のパイロットは、出撃の前に聖母マリア様に成功を祈ったらしい。

大量殺人の成功を神様に祈っとるわけですよ。

 

戦争という状況がそうさせているとはいえ、クレイジーですよね。

 

あ、別に僕はアメリカが嫌い、アメリカは間違ってる!!って言ってる訳じゃないんですよ。

いかに正義が一方的なものだということを言いたかっただけなんです。

 

同じモノでも違う立場・違う角度から捉えるとまったく別のモノになります。

 

ね?ね?ここで今シリーズのテーマ『常識』に当てはめてみてもそうなんですよ。 

『常識』もその地域、その時代によって絶えず違うものとなっているのです。

 

『常識』なんて、そんなに凄いモンじゃないっすよ。

単なる、大多数の価値観の集合・平均。

なんらかの基準でしかなりえないんです。

 

ひとことに『非常識!!』と片付けるのは安易すぎるのではないでしょうか。

 

人それぞれ自分の中に常識が存在しているのです。

その自分の基準に当てはまらないものに遭遇した時に違和感を感じます。

 

いわゆる『変』と感じるわけですね。

 

ということで、次回のお題は『変』で行きましょう。

 

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